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ROSEMARY RECORDS
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INTERVIEW&TEXT:MATSUMOTO

■あなたはグラスゴー出身ですよね。ロンドンへ行こうと決めたのはなぜ?
Lucinda:私はアートスクールへデザインを学びに1979年にロンドンへ行ったわ。1年間で基礎を、3次元のデザインを3年間学んだの。家具のデザイン専攻していたわ。

■80年代の音楽〜社会背景について教えてください。
Lucinda:80年代は、インディペンデント・トレンディなクラブや、とてもクリエイティブなアートや音楽シーンがあったわ。私がロンドンで最初にソロ演奏を行った、Cabaret Futuraみたいなクラブがロンドンのソーホーに存在していた。沢山のアーティストがジャズやラテンをプレイしていた、The Wag Clubがソーホーにあった。私がそこで音楽を聴いていたわ。当時のThe Fridgeは、とても新しいヴェニューだった。Cabaret Futuraで知られるようになってからは、私もそこで演奏していたの。パンクに続くニューロマ・ムーブメントがあったけど、私が好きなのはそういった音楽では無かった。今とは全然違って、色んなスタイルがUKじゅうで起こっていたわ。
当時は、廃墟のビルやフラット、家の中でよく人々がたむろしていたものだった。アーティスト、フォトグラファー、女優、陶芸家がみんなで一緒に住んでいた、キングス・クロスに私も居たこともあった。バンドのリハーサルもそういった所で行っていたし、私の漫画やセットなどもそこでデザインしていた。…“スクワット”の意味わかってもらえるかしら?

■80年代のグラスゴーのバンドやアーティストで好きなのは?
Lucinda:ロンドンに住んでいたから…だけど、ブルーナイルやオレンジ・ジュースが好きよ。

■あなたが結成したバンドContinental Cartoonについて教えてください。
Lucinda:ロンドンにあるミドルセクス大学のアート・カレッジに居た時、結成したのよ。当時のアート学生によるバンドだったの。Osric TentacleというロックバンドでプレイしていたNick Van Gelderがドラムで、A Man Called Adamを結成したSteve Jonesがアコーディオン・プレイヤー、そしてLeftfieldを結成したNeil Barnesがパーカッションを担当していた。Strawberry SwitchbladeのJill Brysonが、私のコンサートでバック・コーラスとして歌ってくれたり・・・彼女とはグラスゴーのカレッジで一緒で、ロンドンへ行く前から知り合いだったの。宣伝広告、ポップ・ビデオ・アート・ディレクター、デザイン・セットで成功したRobin Brownもバックコーラスで、他のメンバーもアートに従事していたわ。
バンド名をContinental Cartoonと付けたのは、私のアートワークのスタイルからなの。昔も今でも漫画をベースにしているし、インターナショナル・ミュージックやコンティネンタル・ミュージックが大好きだから。私の音楽テイストはいつも幅広くて、違ったジャンルやスタイルの扱いをされるのも嬉しいわ。
Nina SimoneやBilly Holiday, ハリウッド映画でビックリするくらい素敵に歌っていたYma Sumacあたりの、40年代〜50年代の音楽が好き。
アコーディオンやヴァイオリンの音色も大好きよ。 Michele Legrandやフレンチ、ブラジリアン、インディアン、イタリアン、美しいアレンジ、エモーションとグッド・メロディを持った演奏だったら何でも好き。

■どんなバンドと一緒にギグを行いましたか?
Lucinda:80年代の初めは、グラスゴーでデモを作って、グラスゴー出身のHue And Cryというバンドに私の曲をプレイしてもらったの。とっても良いバンドだったわ。グラスゴーのLove And Moneyと一緒に仕事したこともあったっけ。彼らと一緒にグラスゴーで演奏したわ。
The Wag Club、The Astoria、The Limelight Clubや、The Grey Organisation、The Grey
OrganisationThe Garageみたいにトレンディなプライベート・クラブ、Costa Doradaっていうスパニッシュ・クラブ、The Garage、エジンバラ・フェスティバルなどで、主に私のバンドContinental Cartoonと一緒に演奏していた。ちょうど私が1987年に"Sunset Red"をレコーディングしプロデュースした時、当時影響力のあったDJのPaul MurphyとBaz fe Jazzに出会った。その後、私のレコードのB面"What d'you want to be when you grow up?"を取り上げてくれたGiles Petersonと出会ったの。当時は、とても面白い小さなクラブがいっぱいあったなぁ…。

■あなたが小さい頃には、どんな音楽に影響を受けていましたか?
Lucinda:Cole Porter, Gershwin, Glen Millerといったハリウッドのミュージカルから影響を受けていたわ。ジャズ・ピアニストのOscar Petersonをテレビで観るのが大好きで、ミュージシャンだった私の父からジャズの影響も受けていたの。私はElla Fitzgeraldのパフォーマンスが好きだった。ティーンになると私は、Joni Mitchel, Carly Simon, James Taylor, Simon and Garfunkle, Eart Wind and Fire, the Mamas and the Papasなんかを聴いていたわ。当時は聴くものが沢山あって、全部思い出すのが大変。ロンドンでは家の外でも、ドライブしたりそこらへんを歩いていたりしても色んな種類の音楽を聴くことができるのよ。80年代には、Perez Pradoの古いレコードや、アシッド・ジャズのアーティスト…Incognito, Brand New Heavys, Working Week,Blue Rondo A La Turque, The Residents, ,Anita Baker, The The, Talking Heads,
Everything but the Girlなどを聴いていた。当時は沢山のバンドが居て、彼らなりの素晴らしい音楽アレンジとメロディを持っていた。 Francoise Hardy, Astrud Gilberto, Matilda Santingあたりも大好きだったわ。

■あなたが"SUNSET RED"を作ったんですよね?とても素晴らしい曲なので、日本の一部のポップ・ファンからも支持されています。曲作りはどのようにして行うのですか?
Lucinda:あれは、恋の関係が終わってしまった時に書いたラブ・ソングなのよ。当時私は、とても強い思い入れがある時には、曲作りに集中してしまう傾向にあったの。それから私のアイディアをテープに録音したわ。曲を書いている時は、自分の好きないくつかのコードを見つけて、最初に2〜3のコードとストロングなメロディを一緒にさせるの。そして、曲ができるまで打ち込んでしまうのよ。それから、ストリングスのラインと私が聴きたいようなボーカルのハーモニーをイメージするわ。その曲をミュージシャンに歌って、それから彼らは演奏して私に戻してくれるの。音楽に於けるストリングスやハーモニーが大好きよ。当時はダブル・ベース・プレイヤーのDom Richardsと一緒だったわ。誰もが美しい演奏をしているけれど、それがとても重要なこと。歌って、他人の琴線に触れるような、愛を持った演奏を必要としているのよ。

■Lucinda Sieger and her Continental Cartoon名義の後、あなたはCongressというバンドに参加していましたね?
Lucinda:1991年にはバンドのメンバーとしての参加では無く、メロディと歌詞を書くゲスト・ボーカリストとして参加していたの。Congressはホワイト・ラベルで、サンプリングを使ってアンダーグランドなレコードを作ったわ。他の人達のレコードを使って自分達でサンプリングすることが始まったばかりの頃に、私達はそれを実行したの。Ronnie Scottsという有名なジャズのヴェニューで歌ったっけ。Inner Rythm Recordsが私達のレコードをピックアップしてくれて。Betty Boo,Yaz, Leftfieldなどを抱えるRythm King Recordsの補助的なレーベルで、そこから"40 Miles"をシングルとしてリリースした。レコード会社は"Sunset Red"の頃のことを知っていてくれていたので、私の歌声を必要としてくれた。ナショナル・チャートのトップ40に入って、UKのビッグ・ポップ・ショウ、トップ・オブ・ザ・ポップスでのライブも行ったわ。世界のハウス〜ガラージ・ミュージックとプロデューサー、そしてこのナンバー・ワン・ダンス・トラックと共に、UKツアーを終えることができた。予想外の出来事だったので、私にとってはおかしな出来事だった…女優になろうとしてたのに、違ったキャラクターを与えられ演技しているかのような…。このことはのちに、Bronski BeatのSteve Bronskiが、アメリカのツアーで私にバックボーカルで歌って/彼の大好きな40 Milesも歌ってほしいとお願いされることに発展してしまったのよ。

■この当時はマンチェスターのムーブメントがありましたが?
Lucinda:とってもマッドだった。バンド達は、とてもラウドな音楽を楽しみに探しているみんなのために、UKじゅうのヴェニューを駆けずり回ってプレイしていた。バンドによる演奏だけでなく、2〜3人のマイム達(演奏しているふりをしている人物)も居たのよ。Congressにもキーボードを弾く真似をしている人がいたけれど。本当のパフォーマーは私だけだった。

■アルバム"Heart In The Sky"について教えてください。
Lucinda:レコード会社の影響なしで、私が聴きたいアルバムを作りたかった。人々にインスパイアを与えるような、他の人達の心に届くような夢と、素晴らしいアーティストと一緒に働くことの喜びを表したかった。だから私は自分自身のアルバムのために資金をためて、早い時期に"Sunset Red"や"I Believe"の曲を使ってラジオやプレス・プロモーションを行ったの。自分で自分自身のアルバムを出すには、私はコック(調理人)、プロデューサー、アーティスト、オーガナイザーとして…すべてやらなきゃいけないし、四六時じゅう働かなくてはいけない。みんながスタジオに到着すると、私はティーやコーヒーを入れて、このピュアな楽しみが音楽からきているというすべてのことを確認しなければならない。こうやってフルタイムに働いていると、音楽を作る夢が湧いてくるし、アーティストとして音楽で生き残ることってとても大変なことだと感じたわ。だから気持ちをもっと多感にさせて、私の友達でMassive AttackのベーシストWinston Blissettと一緒に、"togetherや"I Had a Dream" 曲を作った。
私はイングランドのダービーを歩いていたの。お天気の日で、川岸を友達と一緒に歩いてた。空を見上げると、この雲(スリーブ)を見たの。写真を撮るのが好きだから、出かける時はいつもカメラを持ち歩いているの。この雲が信じられなかった!そして私のアルバム・カバーになるなんて、この時は思ってもみなかった。なんか、このアートワークを使うのがいいって思ったのよ…リアルで、オプティミスティックで、良い感じで。
アルバムのミュージシャンは:
Winston Blissett:bass (Massive Attack, Robbie Williams, Lulu, Lisa Stansfieldともプレイしている)
Count Dubulah:programming, guitars, bass (Temple of Sound)
Neil Sparkes:percussion, spoken word (Temple of Sound)
Larry Whelan:saxophone, accordian (Natasha Atlasの音楽ディレクター)
Mike Willox:keyboards (Fun Loving Criminals, Hote in Japanともプレイしている)
Jimi Papatzaneteas:synthesisers, keyboards
Rick Mulhall:programming (Kick productions)
Kevin Kelly:bodhran

■あなたのアルバムからは、ジャズやボサノバ、UKソウルのテイストを感じます。どんなバンドに影響を受けましたか?
Lucinda:同じ話になってしまうけど、本当に様々なインターナショナル・ミュージックに影響を受けたわ。Cesaria Evoria, The Buena Vista Social Club,The Gotan projectみたいな音楽、歌詞、歌声が好きよ。

■あなたの声が、とにかく素敵ですよね!歌うのはお好きですか?いつ頃から歌い始めたのですか?
Lucinda:大好きよ。家族のクリスマス・パーティーで歌ったのが最初かしら。家族全員がそれぞれ、窓のカーテンの影に隠れて、出てきてコメディか音楽か何かをやるのよ。最初の小さなコンサートは、15歳の時。Stone the CrowsっていうバンドのメンバーだったJohn Mc Guiness先生と一緒に。一緒にピアノを弾いて、それから私はギターを弾いて、サイモン・アンド・ガーファンクルの曲をやったの。そして17歳の時には、グラスゴーのパブでのコンペティションで歌うのが楽しみになった。アートスクールでもCabaret Futuraの歌を歌って。その後Continental Cartoonを結成したのだけれど。

■どうやってそんなに良い曲を作れるんでしょう?
Lucinda:どうもありがとう、私はただ自然にやっているだけなのよ。私のできることと私のハートから書いて歌うことと同じくらい、全てをシンプルに保っているの。正直、いつもそのようにできることが、私のベストなのよ。

■曲を作る時、どのようなバンドやアーティストに影響を受けますか?
Lucinda:バンドだけでなく、いろんな時代から、初期のブルースやフォークから、 CarpentersやBurt Bacharatの"Walk on By"みたいなグッド・ポップチューンから、トラディショナルな音楽から影響を受けているわ。Massive Attackの"Symphony of Sound"なんて、ストリング・アレンジが素晴らしいわよね。

■現在のバンド/アーティストで好きなのは?
Lucinda:イスラエルの女性シンガーソングライターNoahや、Souad Massi, Algerian snger, スコットランドのアーティストMartin BennetのRealworld Recordsからのアルバム"Grit" 、Natasha Atlasの"Something Dangerous"はTemple of Sound and AbdeliプロデュースIt's a Mans Worldのカバー・ソング。ブラジルのアーティストでマルチ楽器奏者Carlos Brown、もっとコマーシャルなものではNora JonesやLemon Jellyがとても良いと思うわ。たくさんの違ったジャンルやスタイルを聴いているわ。

■アーティスト"Lucinda Sieger"としての、今後の予定は?
Lucinda:地元スコットランドとのコネクションをもっと持つこと。3月にはグラスゴーで私のアルバムをプレゼンテーションする予定なの。北部でのデビュー・コンサートも行うつもりよ。そして新曲も書いているの。"Heart in the Sky"で一緒だったアーティストとまた一緒にやるつもりよ。スコットランドのミュージシャンともコネクションを持てたらいいな。ソロ・アーティストとして、バンドを持続させて行くのは、とてもお金のかかるビジネスなので、とても難しいことなの。レーベルも会社も無いから、次のアルバムに向けて資金を貯めなきゃ。次のステップに向けてできる限りのことをするのみ。プロモーターであり、マネージャーであり、アーティストであり、すべてのことを自分で管理しなくちゃならないの。日本でもプレイしたいわ…。だからアーティスト"Lucinda Sieger"としては、私と一緒にツアーを回ったりアルバムを作ってくれるような、もっと多くのアーティストと仕事したいの。私は今でも夢を買っているし、色んなアイディアを持っている。とても美しいステージの、とても美しいコンサート…素晴らしいデザイナー、フィルム・メーカーとの仕事や、素敵なコンサートとオーディエンスとの空間…。その間に、"Lucinda Sieger"とは別のプロジェクトをやるかもしれない。

■日本のファンにメッセージをお願いします。
Lucinda:そちらへ行ける機会を本当に望んでいるわ。あなたのサポートとe-mailにも感謝しているわ。"Heart In The Sky"は後で見つかるわ。私に言えることは、人生は面白いもので、やるべき最良のことを掴んで、あなたが本当に本当にやりたいことに向かって行くこと。みんな素敵よ、皆にとって2004年がハッピーなものであることを祈っているわ。

【Lucinda Sieger】

 
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